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こんばんは!

最近、琉球新報社から出ている『沖縄戦新聞』ってのを読んだので、これの感想を少々。

『沖縄戦新聞』というのは琉球新報社が、2004年から一年間にわたって、当時の出来事を現在の視点で再構成して報道した新聞だ。当時は新聞も大本営発表を垂れ流し、人々を戦争に駆り立てるものであったという負の歴史を見つめて、過去の歴史を二度と繰り返さないという決意で編集した新聞だそうである。

 2004年7月に60年前の「サイパン陥落」を報じた第1号(1944年7月7日付)から、翌年の9月7日付で「日本守備軍が降伏」を報じた第14号まで発行された。

 第13号が2005年8月15日発行の1945年8月15日付号。終戦記念日だ。この号の1面は「日本が無条件降伏」。その他には広島、長崎に原爆が投下された記事や、ソ連軍が参戦した記事なども1面で報じられている。本土の人にとってはこの日で戦争は終わる。だから、最終号になる9月7日付けの第14号は「戦後」の開始である。ボク自身の認識はこうであるし、ほとんどの本土の人の認識も同様であると思う。
 僕自身が第14号の社会面を担当したらどのような紙面を作ったかを考えてみた。
 まず、戦争の重圧から解放されて復興へ向けてたくましく歩み出す人々とか、民主主義がどうしたとか、女性参政権とかそういった話題を中心に復興へ向かう明るい紙面作りをしたいと思う。
 だが、この第14号の社会面はまったく違うものだった。「過酷な戦後始まる」「要さい化進む沖縄」の大見出し。その他、「普天間飛行場建設進む 土地奪われ戻れず」「米兵の女性暴行多発」「米兵用慰安所今帰仁に設置」などの見出しが躍っている。
 自分の認識の甘さに恥じ入るばかりだが、この新聞を読んで初めてわかったと思う事がある。沖縄戦が過酷を極めた結果と言うだけでなしに、日米の戦後政策そのものが沖縄への犠牲の集中としてあった事。だから、復興が過酷を極めたという単純な事実でなしに、「基地の島」=戦争の島としての新たな犠牲が「過酷な戦後」としてスタートしたという事実だ。そして、それは現在に至るもまったく解決していない。米軍のヘリが大学に墜落したり、米軍による犯罪も後を絶たない。高い失業率と低い所得。沖縄では年収200万円以下の人の割合が22%(全国平均は7.5%)、県民所得も東京と沖縄では2倍以上の開きがある。
 つまり、沖縄戦新聞の第14号は終戦直後という過去の姿ではなく現在の沖縄でもあるのだ。昨年の11月に集団自決を否定する教科書検定に対する沖縄県民総決起集会が11万人の結集で開催されたのは記憶に新しいところだが、あの集会についても「沖縄は過去を忘れない」という視点で理解するだけではやや不十分で、現在進行形での一貫した「過酷な戦後」政策に対する怒りの爆発ととらえるべきなのだろう。
 1956年、日本政府は経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言した。当時、沖縄は日本ではなかった訳だが、真の意味で「過酷な戦後」に終止符を打つことが、現代に生きる我々のなすべきことだろう。

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