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今日、純一がフィリピンに飛んだ。
じいちゃんの家で面倒みてもらうことになる。
悩んで本人が決めた道。
16歳の決断。
何もできないけど、日本で応援してます。

純一は今日まで一ヶ月近く俺ん家にいた。
最初は夜にメシ食いに誘ったら、父親とケンカして、家出されてるって言ってて、可哀相だから一泊泊めてやった。
カネないみたいだけど貸してやらなかった。
朝には仕事行くときには家から出した。

コンビニのトイレで寝たり、段ボールで寝てるの聞いてたから実は心配だった。
雪や爆弾低気圧とかの時は心配で心配で仕方なかった。

我慢できずに何日かしてメールしてみた。
彼はコッペパンで食いつないでいた。
また、メシ食いに行って一泊泊めてやった。

俺は孤独が好きだから、他人がいると落ち着いて眠れない。

だけど、ずっと心配してたから、安否を気にしながら寝るより、隣にいるほうが精神的には楽なことに気がついた。

翌日はやはり家から出して仕事に行った。

彼は何回か父親に謝りに行っている。
だが、彼と父親の関係は修復不能な程悪化していった。
義理の父親であり、元からうまくいっていなかったのもある。
だが、彼は何度も家に行っては義父に頭を下げたようだ。

俺にまたヘルプの電話があった。

郡山まで迎えに行って家に泊める。
カネも貸してやった。
父が勝手に辞めさせた彼の勤め先の給料が入るはずだからそれまでの繋ぎ。

夜は毎日家にいてもいいことにした。
俺の出勤に合わせて家から出す。

毎朝、気持ち良さそうに寝ている。
彼にひと声かけて家から出さずに仕事に行った。


俺は覚悟を固めた。
独り立ちできるまでは面倒見よう。


彼が2日間帰ってこないことがあった。
携帯も止まっていたから心配で心配で仕方がない。
その時はまだ俺ん家の鍵持っていないから、帰ってきても俺がいないと家に入れないから心配だった。

俺に借りたカネを返すあてが無くなり帰りずらかったのもあったらしい。

もはや、そんなことは俺にはどうでもいい事だった。

カネなんかどうでもいいから連絡よこせよって思った

彼は郡山で仕事を探し、面接もした。
親の承諾書が必要だそうだ。
俺にははぐらかしていたけど、もしかしたら承諾書を書いてもらえなかったのかもしれない。

数日後、彼はフィリピン行きを決めた。
母親はフィリピンの人で彼もフィリピン国籍だ
彼は中2の頃に半年間の滞在経験がある。

最後は母親が責任を取った。
さすがは彼が尊敬する母親。
腹を痛めて産んだ母親の愛は偉大だし、彼のアイデンティティーもそこにある。
母親は彼より2日早くフィリピンに飛んで少しの間滞在することになった。
彼はずっとフィリピンに残る予定だ。


俺はフィリピン行きを知った後に彼に言った。
俺は息子と思って責任とる覚悟でいた。親代わりと思ってもらってかまわない。
頼るところは頼れ。
息子が親に隠し事したり、ウソついたり、そんなことは当たり前にあることだ。
俺が面倒見るって決めたのは、仮に殴られようが家のカネ持ち逃げされようが全部赦すって覚悟持ってるってことだから(もちろんそんなことは一切なかったけれど)
仮に日本での居場所とか俺に迷惑かかるとかは心配するな。
仮にあっちでやっていけなくなったらいつでも家に帰ってこい。


もちろん俺は親でもないし、親を越えられるはずもない。
俺も、俺の周りの仲間も彼を本気で心配していることが伝わればそれでよい




それにしても父親の気持ちも少しわかるような気もする。
鑑別所に3回も入るような札付きのヤツで、俺の知らないような人生経験に満ちあふれていて、危なっかしいことこの上ない。
あれだけ問題起こしていたら家に入れたくなくなる気持ちもわかからなくはない。



16歳という感受性の強い時期に、人一倍感受性の強い彼が本当に自分自身の悩みを打ち明けられるのは恐らく自分自身しかいないだろうし、俺達大人の世界なんかゴミで煌めいているだけかもしれない。
見守り応援することしかできない無力感。
俺は彼の本当の気持ちなんか何も理解していないかもしれないという気持ちもある。
だけど、本気で心配してるし、心から応援してる。


最後の夜、車を出して、彼の友達への最後のお別れの挨拶に付き合った。
普段大人びている彼も友達といるとやはり16歳の少年だった。


今日は理由をつけて仕事を休んで駅まで送っていった。
俺達の挨拶はいつも敬礼だ。
今日も握手して敬礼をして別れた。


帰りの車で涙が出た。


この一ヶ月、本当に楽しかった。
毎日笑いあってた。

力不足、経験不足で体調崩して大変だったけど俺に取っても貴重な経験だった。


「養子にしたら?」って冷やかしで言われたことがある。
「人事だと思って勝手な事を」って応えたけどホントは嬉しかった。

だが、そういう事はないだろう。
彼は自分の生まれと祖先を誇りに思ってるから。

いつか彼の暮らすフィリピンに遊びに行ってみたい。
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原発事故から一年がたったね。

これだけは書いておかないと、何となく先にすすめない(笑)


俺なんか福島県の本宮市。震度6弱だったかな。今でも家の土台はひび割れたまま。壁も何カ所もひび割れたままだ。

被害は大きかったけど、ここら辺は津波は来ない。

いろいろ大変だったけど、命の大切さ、生きていることのすばらしさに気がつくことができた。

少々不便な生活にも不満はなかった。
みんな助けあったし。
向かいのレストランがカレーライスの炊き出しをわざわざ持ってきてくれたり、友達が俺のために天ぷら持ってきてくれたり。

携帯はなかなか繋がらなかったけど、仲間の情報網は速かった。大学の友人、福島の仲間、みんな無事だった。

何日かして、俺が二年前まで働いていた会社の同僚が仕事中に津波にさらわれて亡くなったことを知らされた。


原発が爆発した。

みんな何が起こってるのかわからなかったし、危険を感じる余裕もなかった。

まだ雪が降る寒い季節。停電で暖房もつかない、電気も水もない家の中で何ができる?

みんな給水車の前に何時間も並んだり、食料を求めて何時間も行列したり。

後になって危険な放射線量が降り注いでいたことを知らされた。


電気がついて、徐々に情報が入りはじめる。

アメリカは80キロ圏内を避難させた。
トモダチ作戦とやらで普天間基地から飛び立った部隊も福島には来なかった。


原発は日々深刻さを増して、半径30キロまでが危険地域になった。

その外側は「直ちに健康に害はない」と言われた。

だが、毎日外で仕事をする俺達には、これが続けば危険としか考えられない数値だった。

福島市で1時間に24マイクロシーベルトという数値の中で俺達は放置された。

ガソリンは生命線だった。
俺達のガソリンスタンドには毎日何十台もの警察、消防、国道交通省、通信会社、電気、ガスの会社が給油に来た。
電力会社は全身防護服に身を包んだり、車両を外気から遮断するために目張りがされていたりした。
彼らの燃料をつなぐことは命をつなぐこと。
ガソリンスタンドの仕事も救援の後方支援だ。
毎日、高い放射線の中での外仕事もこれで助かる命があると思えばやめるわけにはいかなかった。

それでもガソリン不足は深刻だった。
救援の消防や救急車に入れるガソリンもなくなった。
もはや、ここら辺りから逃げたくても逃げるガソリンもなかった。
もちろん電車は動いていなかったし、バスも少ししか走っていない。

逃げたい人も逃げようがなかった。

正直、言語に絶する恐怖だった。


次に深刻な爆発が起きれば福島にはいられない。


しばらく落ち着かない日々が続いた。


何で逃げないんだ?

と、多くの人が疑問に思うようだ。

だけど、それ程簡単な問題じゃない。

仕事、生活、家族、仲間。
逃げるには失うものも多すぎる。

震災後の5月、沖縄返還の日のイベントで那覇市民会館で話をさせてもらう機会があった。

沖縄の問題と福島の問題はつながっている。
基地は戦争の道具の「平和のための抑止力」。原発も戦争の道具の「平和利用」。
住民にとっては危険なもの。
危険だから逃げろ。
それでは解決にはならない。
出ていくべきものは基地であり原発だ。

沖縄の人なら理解しやすいと思うけど、普天間基地が危険だから、近くの人は内地に移転してもらいます。とかなったらどう思う?
地元最高は福島も同じ。単純に逃げろ言われても簡単な問題じゃない。

俺は福島でたたかうことを決意した。

そんな話をした。逃げないなら、逃げられないなら、この現実を固定化しない。こんな思いを絶対に他ではしてもらいたくないから、そのためにはこの現実とたたかっていく。





↑ここまで書いて放置してた(笑)


どうしてもこの時期は心安らかではないからね。


3月11日は郡山で、原発いらない 県民集会に運営として参加させてもらった。
1万6000人が集まった。2時46分には黙祷。
同じ思いの人がたくさんいると思うと、高揚感があった。

その後、集会に参加して意気投合した人達とカラオケ(笑)

HipHop歌っても浮かないメンツだったから久しぶりにはじけたな(笑)

普段は前川清とか歌ってるからよ


最近、東電から賠償金払うって紙が送られてきたり、福島は現在進行形で問題抱えてるけど、
悲壮感とかじゃなくて、楽しみながら福島の思いを伝えていけたらいいなって思います
県総周辺めっちゃ渋滞なう

運転しながら更新。

寝てしまいそうだ(笑)


今日は沖マラ


↑10キロ過ぎに疲れはじめる人たち



↑まだまだ余裕のある人たち


糸さんもいた(笑)(笑)


写真を撮らなかった方や
blogをやってないから声をかけなかった方も(笑)



かなりキツいコースだったけど、みんなと一緒に走ってると思って頑張りました

特に8キロあたりですごい勢いで俺を抜かしてったひろき(笑)

前にひろきがいるはずと思って頑張ってみた(笑)

残り10キロないくらいのあたりでひろき発見(笑)(笑)

やしが、俺に余裕がなくて写真撮らなかった


そこから先がキツかった

目標を見失う俺

歩きはじめる俺

下り坂がつらすぎる俺

雄太に抜かされたのも気がつかない俺


最後がキツかったけど頑張りました。



応援してくれたみんな、声かけてくれたみんな、写真撮ってくれたみんな。
全ての人に感謝です。
ありがとうございました


出場したみんな。お疲れ様でした。


短い沖縄滞在だけど楽しめました


明日からは函館!
これも楽しみだ



せっかく沖縄に来たのに、

沖縄って悪いヤツばっかなの?


なんかドブーとかチリーとかいって


とりあえずダチと一緒にたっぴらかしてきた



↑真ん中が俺で両サイドが俺のダチ


で、県総行ってナンバーカード貰ってきた

5359

明日は帽子に


このステッカー貼って走るつもり
見かけたら気軽に声かけてな(笑)
たぶんデジタル持って走るから写真撮ろうぜ(笑)


じゃ、明日がんばりましょう(^0^)/




こんばんさぁ~~~~い!

あと3日働いたら5連休!

楽しみすぎるー!

土曜日から月曜日まで沖縄

月曜日から水曜日まで北海道


楽しみすぎるー(笑)


きのうから準備はじめたけど、沖縄と北海道とかどんな服持っていけばいいかよくわからん(゜_゜

基本、荷物増やしたくないから薄着でいきます


沖マラも楽しみー

練習してんけど完走したい

心配なのは沖縄の暑さ!

福島は暖かい日でも最高6度くらいだから、気候が違いすぎる(*_*)

走る人みんな完走しようぜ!


月曜日からは沖縄から北海道へ

俺の地元、北海道。

帰るの年1回だけだから楽しみ


あと3日仕事がんばります。
どうも!

大晦日ですね。

簡単に今年を振り返ってみます。


今年の漢字は「絆」らしいけど、自分にとっては漢字一文字で表すとすれば「死」


死を意識した一年でした(笑)


3月の大震災。

経験したことのない揺れで、家の壁が割れたり、いろいろ被害あってそれ自体大変だったけど、地震だけならいい経験さ。

でも、その後の津波。

あれで俺の前の会社の仲間が二人さらわれて帰らぬ人となった


さらに、原発事故。

おれなんか本宮市は原発から50キロくらい

原発で爆発があって、警戒区域が10キロ、20キロ、30キロと拡大していく

次々と爆発が拡大していく中で、先の見えない絶望感


みんながマスクをして、職場のガソリンスタンドには電力関係の目張りしまくった車や、全身防護服に身を包んだ人が行き交う。


言い知れぬ恐怖感の中で、2ヶ月間は酒も飲む気にならなかった

何かあったら、すぐに車で逃げられるようにって思うと酒は飲めないよ


そして、夏過ぎに高校の時の担任の先生が亡くなった。
最近は沖縄が好きみたいで、宜野湾市あたりに家探したりしてたみたいで、
先生の三線を酒の肴にしながら、沖縄で飲むのが夢だったのに、それも叶わくなった。
ホントいい先生だったよ


秋には好きな作家の北杜夫が亡くなった。
母が好きな作家で、家にいっぱい本があったから読みはじめたんだけど、かなり影響を受けた作家だった

自分の人格のいくらかの部分は北杜夫によってつくられてるよ。
ガチで(笑)



死というものを意識するということは生きることの意味、ありがたさを感じることができた一年だったわけで、その分成長できたと思う。

まわりのみんなに感謝の気持ちを忘れずに、来年もいい年にしていきたい。

なんだかんだ言っても、充実したいい一年でした。

みんな、いろいろとありがとう。
そして、来年もよろしくお願いします!
こんばんさぁ~~い(^0^)/


今日は事故の日だよ。

なんと仕事中にガソリンスタンドの計量機にトラックがぶつかってきたw(゜o゜)w


運転手乗ってなくてサイドブレーキかけてなかったってパターン


戻ってきた運転手、トラックで逃走(笑)


やしがナンバー控えてたからすぐに御用


計量機、何百万円もするからな。


運転手ドンマイ



何年かに一度、こんな事故あるんだよ。




15分後



給油中に車発進する事件発生w(゜o゜)w


ノズル切れた。


2年に一度くらい、こういう事故ある。


修理代、8万円くらいかな。


運転手ドンマイ




4時間後



トラックがガソリンスタンドに突っ込んでくる!



と思ったらかわして、左に止まってたトラックに激突し、さらに右に止まってたトラックに激突して止まった


運転手、病気か何かで発作おこしたみたい。


救急車呼んでって言われて、いろいろ大変だった


トラックが右に左にぶつかりながら走ってるってマジで怖いよw(゜o゜)w



10年に一度くらいこんな事故あるみたい。



何年に一度レベルの事故が3連続だよ



仕事してても心臓ドキドキだったw(゜o゜)w


みんなも事故は気をつけてね



こんばんさぁ~~~い


突然だけど




おきなわマラソン申し込んでみた




問題は休みが取れるかどうか





こうなったら奥の手を使うしかない


北海道の実家への帰省と組み合わせる


5連休で沖縄行って北海道行くパターン(笑)



どんな服用意しればいいのよって感じだな(笑)(笑)



早くも飛行機とホテルとか手配してしまったよや(笑)(笑)(笑)


カネは原発の賠償金が入るみたいだから、それを当てにしてる


おれなんか賠償金8万円だけど、18歳未満なら一人20万円てよ

てかいつ貰えるの?



まあ、金額の問題より、もっと早くからこの話あったら、もっとたくさんの子供達が逃げられたはずだから、そう考えると複雑な気持ち



沖マラ、目標は


楽しむこと(笑)


完走はするつもりだけど、タイムとかどうでもいい



楽しみだ




今月ボーナス出るってよ




楽しみだ
こんばんさ~~~~い

昨日の日記で受験って思った人、ダマしてごめんなさいm(__)m

今日はつくばマラソン、フルマラソン42.195キロの部を走ってきました(^0^)/

スタート地点とゴール地点が筑波大学っていうね

今年は同じ職場のはやとも走るってなって二人で走って、二人とも完走しました

きついけど、めっちゃ楽しかったよo(^-^)o

おれの会社、つくばマラソンのスポンサーで給水所のボランティアとかもやってるから知ってる人とかもいて、応援してくれるし(笑)

ボランティアとか、沿道の応援がめっちゃ力になる。
応援してくれた人、ありがとうございます。

でも、応援は那覇マラソンの方がアツいね


ホントは会社の帽子かぶって走ろうって準備してたんだけど、スタート前にトイレ行ったら、すごい行列で時間なくて慌ててたら帽子かぶるの忘れてしまった(笑)

次回リベンジかな(笑)


来年の3月に沖縄マラソンあるさ。
出たかったのにスケジュール的に出られない疑惑なんよ。

みんなも一度走ってみるといいよ!
絶対楽しいから!

では!

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