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沖縄を返せ

【作詞】全司法福岡高裁支部
【作曲】荒木栄
固き土をやぶりて
民族の怒りに燃ゆる島
沖縄よ
我らと我らの祖先が
血と汗をもって
守り育てた 沖縄よ
我らは叫ぶ 沖縄よ
我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ
沖縄を返せ

サイトの方に『沖縄を返せ』のリクエストがあったので、少々思うところを書いておきたい。
この歌は1960年代を通じて、復帰運動、沖縄返還運動の中で歌われたもっともポピュラーな歌だそうだ。
最近では95年から96年にかけて相次いだ米兵による暴行などの事件を契機として、米軍基地に対する反対運動の高まりの中でさかんに歌われた。
この頃、大工哲弘はこの歌を「沖縄を返せ 沖縄に返せ」と歌い始め、反基地運動の中でもこのように歌われるようになった。

U-DOU&PLATY『クユイヌハナシ』の出だしで(元ネタは嘉手苅林昌『時代の流れ』)

唐ぬ世からヤマトぬ世
ヤマトぬ世からアメリカ世
アメリカ世からヤマトぬ世
ちゃしきん変わたるくぬウチナー

と歌われているとおり、ウチナーの歴史はさまざまな国の属国として生きてきた歴史である。日本(ヤマト)による沖縄(ウチナー)の支配の歴史は、沖縄にとって「琉球処分」という言葉にも象徴される日本の国策に振り回された悲劇の歴史という側面は否定できないだろう。
琉球処分とは、「我らと我らの祖先が血と汗を持って」琉球王国を解体し、日本(薩摩藩)に併合したことを指す。

それらをふまえて『沖縄を返せ』の歌詞を見ると、ある種の違和感とおぞましさを感じずにはいられない。
本土の沖縄返還運動の中軸はいわゆる左翼と呼ばれる諸々の党派と労働組合であったはずだが、『沖縄を返せ』の歌詞で感じずにはいられない偏狭なナショナリズムは当時の運動の限界だったのだろうし、それは今でも、本土の体制内労働運動の中に色濃く残っているのではなかろうか。
二番の歌詞で「沖縄」を「朝鮮」に、三番を「満州」に置き換えて歌っても全く違和感なく大東亜共栄圏の国威発揚ソングになるといったら言い過ぎだろうか。

にもかかわらず、この歌は「沖縄に返せ」と歌うことで沖縄の心が入り、反基地運動のシンボルとして甦った。
沖縄は日本に「返還」されたが、ウチナーにとって問題は全く解決されていない。
再び『クユイヌハナシ』から引用するならば、「この島は矛盾が多」く「基地があり続け」、「大国の戦略に組み込まれ」、「日本に復帰したというけれど」「これはどこの国の話だろう」という具合だ。
だからわれわれは、われわれ(ヤマトもウチナーも)の手で沖縄を取り返さなければならない。「美しい国」ではなしに「美ら島」として奪還されなければならないのである。そして、この歌はそのシンボルとして息を吹き返したのだ。

話は変わるが、沖縄インディーズはユープラに限らず、基地や戦争と平和の問題を当たり前に歌い、そしてそれが成功している。カクマクとかかりゆし58とかSOUTHとか満福とか他にもいろいろ。これは、本土ではなかなかそうはならない。
これは問題意識がどうとか社会的関心がという前に、彼らにとってこれが日常なのだからだと思う。目の前に基地があって、沖縄戦の傷をかかえている現実がある。恋愛を歌うのと同様に、目の前にあたりまえにある題材なのだ。
俺はそんな歌を「等身大の反戦歌」と呼んでいるが、下手な社会派ソングよりも説得力があると思う。

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