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あけましておめでとうございます!!!

今年もよろしくお願いします!!


いよいよ新年ですね。
去年は充実した一年でした。今年はもっと充実した一年にしたいと思います☆

というワケで今日は旧正月ですよ。
この辺りでは旧暦はほとんど忘れ去られてますけど、今年は旧暦を意識してみようかなって思って、部屋には旧暦の書いてあるカレンダーを貼ってあります。

旧暦は月の満ち欠けの暦だから、伝統的な祭の日は旧暦じゃないとピンとこないですよ。
例えば旧盆は旧暦の7月15日だけど、旧暦は1日が新月で15日はだいたい満月に近い頃(十五夜)。
本土では盆踊りが、沖縄ではエイサーが踊られるけど、月の明るい夜だからできるんです。
逆に去年話題になった岩手の蘇民祭。旧暦1月7日は夜の10時頃に月は沈むから、深夜は真っ暗です。
古来は男が全裸になっていても見えなかったハズですね。

今年は月と季節感を楽しみたいと思います。



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こんばんは!

福島は昨日から本格的な雪になっています。

雪が降ると道路は大渋滞です。ツルツルの路面だから、みんなソロソロ走るし、坂道登れなくなって立ち往生してるトラックがいたり……

昨日は職場から家まで3時間以上かかりました。
眠かった…
こんばんは!!

那覇マラソンは最高でしたね。すべてが楽しかったです。

とりわけ、途切れるコトのない応援と子供達や高校生とのハイタッチでどれだけ元気を貰ったかわからないです。
水、塩、黒糖、おにぎり、飴、バナナとかいっぱいもらったり、エイサーやバンド演奏の応援も力になりました。
ボクが完走できたのは、応援して下さったみなさんのおかげです!!


ところで、那覇マラソンに申し込んだものの、実は休みが取れるかどうか微妙だったんですよ。

「その日は、どうしても出られないんですよ」

「法事か何か?」

「ハイ……」

ここで「はい」と言っておけば何とかなると直感したボクは「秋田で法事」という物語を創作しつつ、沖縄に飛んだのです。

全てはうまくいくハズでした。

しかし、僕は沖縄をナメてました。
そう。沖縄の太陽を。

完走したボクは、明らかに日焼けしていたのです。
走り終わってホテルに帰って鏡で見ると真っ赤になってて衝撃を受けましたよ。

いつも外で仕事してるのに、ありえねぇ……

福島に戻った日の夜、タカシ氏にお土産のオリオンビールを渡しつつ、相談してみると、これでは明らかにばれるとのコト。

ボクはコンビニに走りました。
手にしたのは


ファンデーション


美白かよ……

オレは鈴木その子か!!


生まれて初めての化粧体験……


次の日、ボクはいつもより30分早く起きて、初めてファンデーションを塗って出勤しました。

真っ赤な首までファンデーション塗って、念のため防寒着で隠すようにして、あまりみんなと顔を合わさないようにして……


今のところばれていない!

ところが、日焼けの皮膚が痒くなってくる。

掻きたい。掻きむしりたい!
でも、化粧が崩れるからかけない~~

ボクは必死に苦しみに耐えました。

マラソンで筋肉痛の足も何事もなかったかのように動かし続けました。


毎日美白で出勤中ですけど、今のところばれてません。

毎日少しずつ薄化粧にして、みんなの目をゴマカシてます。

もう少しで、すっぴんに戻れそうです。
こんにちは!

今日はNAHAマラソン。
というワケで、今、沖縄に来ています。

初マラソンにしつ、初フルという無謀な挑戦でしたけど、何とか完走しました!

後半結構歩いたけど(笑)

これから国際通りにCD買いに行ってきます。

左足が動きません(笑)



こんばんは!!

先月の末のコトなんですけど、沖縄から電話がかかってきました。
予約していたホテルからで、どうやらオーバーブッキングなんだそうなんです。
NAHAマラソンは、今年は3万人以上参加する気配ですから、当然、那覇市内のホテルは全部満室なハズ。
でも、どうやらホテル間のネットワークで確保したらしく、別のホテルに振り替えて貰えないかって相談でした。

「もちろん全額負担します」って言ってました。

タダで一泊は魅力的ですね!

どこのホテルか聞いてみました。
いくつか確保したみたいなんだけど、
一番近いのはって聞いたら泊港の近くだとか。

「遠いですよね」って思わず言っちゃいました。

泊港から県庁前のゆいレールまで歩くとマラソン前から疲れますからね。
タクシーも面倒だし……

「法華クラブもあります!」

いいホテルですね。新都心の。
「新都心ですよね」

「断ってもいいですよ」

はい。断りました。

タダで法華クラブは魅力的で、観光だったら喜んで応じたんだけど。

初マラソン、初フルで不安いっぱいなので、少しでも体に負担になるコトはしたくないんですよ。

念のため、早めにチェックインしようと思います。
こんにちは!!

NAHAマラソンまで、あと一週間になりました。
超練習不足のまま本番を迎えるコトになりそうです。

実は、先週軽いギックリ腰になりまして、走るどころじゃなかったり、雪模様の天気で深夜に走るのは難しい状況でした。
オマケにテンションも下向きでした。

でも、食生活だけは気をつけていたので、体重は減ったのですが、筋肉も一緒に落ちているような気がします。
その証拠に、体脂肪率があまり減っていません。

ともあれ、後一週間ですから、疲れを残さないためにも、もう長い距離の走り込みはできませんが、完走目指してがんばります。
こんにちは!!

先月末になりますけど、職場の健康診断。受けてきましたよ。
う~ん……って感じの結果でした(笑)

まず、問題の体脂肪率。20%まで落とせませんでした。
運動不足型なんだそうです。
あと、中性脂肪が多いとか言われました。
もうひとつ、尿から蛋白が出てるとか。

やはり、一ヶ月摂生したぐらいじゃ日頃の運動不足は解消しないですね。

NAHAマラソン完走が危険信号です。

そんな訳で、1日には初めて20キロ走をしました。
ゆっくり走ったから次の日は筋肉痛もなくいい感じ☆


って思ってたら翌々日にきました(笑)

すっかりジジイです。
今まで運動らしい運動やってこなかったんだからしかたないけど、完璧に筋力不足です。
カラダができてないのに無理して故障するのだけはイヤなんで、それだけ気をつけて、何とか完走できる状態にだけは持って行きたいです。タイムとか二の次です。
こんばんは!

昨日は二ヶ月ぶりの連休でした。両親を連れて大内宿というところに行ってきました。
大内宿は江戸時代に参勤交代の大名の宿場として使われたところで、当時の風情を残した建物がいっぱいあって、時代劇の空間にタイムスリップしたようでした。
紅葉も最高潮でしたよ。

蕎麦もうまかったし、いい連休を堪能しました。



こんばんは!

最近、琉球新報社から出ている『沖縄戦新聞』ってのを読んだので、これの感想を少々。

『沖縄戦新聞』というのは琉球新報社が、2004年から一年間にわたって、当時の出来事を現在の視点で再構成して報道した新聞だ。当時は新聞も大本営発表を垂れ流し、人々を戦争に駆り立てるものであったという負の歴史を見つめて、過去の歴史を二度と繰り返さないという決意で編集した新聞だそうである。

 2004年7月に60年前の「サイパン陥落」を報じた第1号(1944年7月7日付)から、翌年の9月7日付で「日本守備軍が降伏」を報じた第14号まで発行された。

 第13号が2005年8月15日発行の1945年8月15日付号。終戦記念日だ。この号の1面は「日本が無条件降伏」。その他には広島、長崎に原爆が投下された記事や、ソ連軍が参戦した記事なども1面で報じられている。本土の人にとってはこの日で戦争は終わる。だから、最終号になる9月7日付けの第14号は「戦後」の開始である。ボク自身の認識はこうであるし、ほとんどの本土の人の認識も同様であると思う。
 僕自身が第14号の社会面を担当したらどのような紙面を作ったかを考えてみた。
 まず、戦争の重圧から解放されて復興へ向けてたくましく歩み出す人々とか、民主主義がどうしたとか、女性参政権とかそういった話題を中心に復興へ向かう明るい紙面作りをしたいと思う。
 だが、この第14号の社会面はまったく違うものだった。「過酷な戦後始まる」「要さい化進む沖縄」の大見出し。その他、「普天間飛行場建設進む 土地奪われ戻れず」「米兵の女性暴行多発」「米兵用慰安所今帰仁に設置」などの見出しが躍っている。
 自分の認識の甘さに恥じ入るばかりだが、この新聞を読んで初めてわかったと思う事がある。沖縄戦が過酷を極めた結果と言うだけでなしに、日米の戦後政策そのものが沖縄への犠牲の集中としてあった事。だから、復興が過酷を極めたという単純な事実でなしに、「基地の島」=戦争の島としての新たな犠牲が「過酷な戦後」としてスタートしたという事実だ。そして、それは現在に至るもまったく解決していない。米軍のヘリが大学に墜落したり、米軍による犯罪も後を絶たない。高い失業率と低い所得。沖縄では年収200万円以下の人の割合が22%(全国平均は7.5%)、県民所得も東京と沖縄では2倍以上の開きがある。
 つまり、沖縄戦新聞の第14号は終戦直後という過去の姿ではなく現在の沖縄でもあるのだ。昨年の11月に集団自決を否定する教科書検定に対する沖縄県民総決起集会が11万人の結集で開催されたのは記憶に新しいところだが、あの集会についても「沖縄は過去を忘れない」という視点で理解するだけではやや不十分で、現在進行形での一貫した「過酷な戦後」政策に対する怒りの爆発ととらえるべきなのだろう。
 1956年、日本政府は経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言した。当時、沖縄は日本ではなかった訳だが、真の意味で「過酷な戦後」に終止符を打つことが、現代に生きる我々のなすべきことだろう。


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